蒸した大豆に納豆菌をまぶし、40℃前後で一晩置く。それだけで、パサついた豆が粘り気のある糸を引く食品に変わる。工程の単純さに反して、その中で起きている化学変化は決して単純ではない。
01糸の正体はタンパク質と糖の鎖
あの独特な粘りは、納豆菌が作り出すポリグルタミン酸とフラクタンという多糖類が絡み合ってできている。ポリグルタミン酸はアミノ酸が数千個も連なった鎖状の分子で、これが水分を抱え込みながら糸を引く。箸で持ち上げたときに伸びる糸は、微生物が作った天然の高分子繊維そのものだ。
02藁から生まれた偶然
納豆菌は、もともと稲藁の表面に自然に生息している枯草菌の一種である。かつては煮た大豆を藁苞に包んで保存する過程で偶然発酵が起こり、それが今の納豆になったという説が有力だ。藁一本の中には数千万個もの納豆菌が付着していると言われ、藁苞を使った昔ながらの製法は、この菌との出会いを再現する仕組みでもある。
「稲を育てた同じ土地の微生物が、収穫した大豆を発酵させる。稲作の副産物のような発酵食品」
03強さゆえに単独になれる菌
納豆菌は非常に生命力が強く、熱や乾燥に強い芽胞という形で休眠できる。そのため、他の雑菌が入り込みにくい過酷な環境でも生き残り、結果として単独で発酵を独占できる。味噌や醤油のように麹菌・酵母・乳酸菌がリレーする必要がなく、納豆菌一種類の働きだけで完結するのは、この強靭さゆえだ。
観察メモ
- 発酵温度が高すぎるとアンモニア臭が強くなり、低すぎると発酵が進まず粘りが弱くなる。
- 納豆特有の成分ナットウキナーゼは、発酵の過程で納豆菌が分泌する酵素の一つ。
- 糸の粘りの強さは大豆の品種や発酵時間によって変わり、産地ごとに好まれる粘度も異なる。
04好みが分かれる理由
納豆の好き嫌いがはっきり分かれるのは、匂いと粘りという二つの強い個性を、他の発酵食品ほど加熱調理で和らげずにそのまま食べる文化があるからだろう。納豆菌が作り出した香気成分と多糖類を、ほぼ生のまま受け取る食べ方は、世界の発酵食品の中でもかなり直接的な部類に入る。