粉と水を混ぜて数日放置するだけの「元種」づくりは、一見なにも起きていないように見えて、実際には目に見えない微生物同士の陣取り合戦が進行している。
01酵母と乳酸菌、二種類の同居人
サワードウの元種の中には、パンを膨らませる野生酵母と、酸味を生み出す乳酸菌が同時に住んでいる。酵母は糖を分解して二酸化炭素とアルコールを作り、生地の中に気泡を作って膨らませる。乳酸菌は同じ糖を使って乳酸や酢酸を作り、あの独特の酸味を生む。この二種類の菌は競合しながらも、互いの排出物を利用し合うことでバランスを保っている。
02元種は場所ごとの菌の指紋
市販のイーストと違い、サワードウの元種に住み着く菌の構成は、粉の産地や作業する台所の環境によって微妙に異なる。同じレシピで作っても、サンフランシスコの元種とパリの元種では酸味や香りの傾向が違うと言われるのは、その土地や台所ごとに空気中を漂う菌の種類が異なるためだ。元種はいわば、その場所の微生物相を映した指紋のようなものになる。
03毎日の「餌やり」が意味すること
元種を維持するには、粉と水を定期的に加える「フィーディング」が欠かせない。これは単なる補充作業ではなく、酵母と乳酸菌に新しい栄養源を与えて活動を持続させ、同時に増えすぎた酸を薄めて環境を整えるという、生態系の管理作業でもある。フィーディングを怠ると、酵母よりも乳酸菌が優勢になりすぎて酸味が強くなりすぎたり、逆に活力が落ちて膨らみが弱くなったりする。
観察メモ
- 元種の中の酵母は、パン用イーストとは異なる野生種であることが多い。
- 気温が高いほど発酵は速く進み、酸味より発酵ガスの生成が優位になりやすい。
- 適切に管理された元種は、理論上何十年も継ぎ足しながら使い続けることができる。
04時間をかけることの意味
サワードウのパンが完成するまでには、元種づくりに数日、本捏ねから焼成までにも長い低温発酵の時間がかかる。この長い時間の中で、酵母と乳酸菌がゆっくりと小麦のデンプンやタンパク質を分解し、消化されやすく風味豊かなパンへと変えていく。速さよりも、菌に十分な時間を与えることが、サワードウという製法の核にある。